目  次
1.本多作左衛門重次
  
・エピソード
  
・誕生地の碑

2.本多成重(お仙)
  
・NHK大河ドラマ

3.本多父子の系譜

4.本多父子の年譜

5.あの日から今年は・・

6.小説「徳川家康」中の父子

7.本多父子の謎


   参考資料

 (a)「本多」人名辞典

 (b)本多一族の系譜

 
(c)歴代岡崎城主

 
(d)リンク・参考文献




HOME>(a)本多氏一族の系譜
(a)本多氏一族の系譜

(0)始祖
 (1)助時系(直系) (2)正時系(伊奈本多) (3)正明系 (4)正経系(本多豊後守家)
(0)始祖

 家譜類によれば本多氏は、太政大臣藤原兼通の子左大臣顕光11代の後胤右馬允助秀が豊後国(大分県)本多郷に居住し本多氏を名乗ったという。

 助秀の子*助定は足利尊氏に仕え、建武3年(1336)志村某らの凶徒を鎮定すべき命を受け、その功により翌年尾張国横根・粟飯原の二郷を宛行われたという。
(* 助定は「助秀の子」ではなく分家筋という説もあります)

 この本多氏がいつ三河に所領を有することになったのか、あるいは14世紀後半から約一世紀間の動向については判然としないが、15世紀後葉には一族が三河に所領を有し台頭してきて、江戸時代には大名13家、旗本45家に広がった。その主な諸家を次に示す。

  • (1)助時系(直系)
  • (2)正時系(伊奈本多)
  • (3)正明系
  • (4)正経系(本多豊後守家)
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