(0)始祖
家譜類によれば本多氏は、太政大臣藤原兼通の子左大臣顕光11代の後胤右馬允助秀が豊後国(大分県)本多郷に居住し本多氏を名乗ったという。
助秀の子*助定は足利尊氏に仕え、建武3年(1336)志村某らの凶徒を鎮定すべき命を受け、その功により翌年尾張国横根・粟飯原の二郷を宛行われたという。
(* 助定は「助秀の子」ではなく分家筋という説もあります)
この本多氏がいつ三河に所領を有することになったのか、あるいは14世紀後半から約一世紀間の動向については判然としないが、15世紀後葉には一族が三河に所領を有し台頭してきて、江戸時代には大名13家、旗本45家に広がった。その主な諸家を次に示す。
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