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2.本多飛騨守成重(お仙) 元亀2年(1571)重次の嫡男として浜松に生まれ、幼名を仙千代、成人して丹下と称す。 家康の小姓となり、小牧の役後の天正12年(1582)家康の子於義丸(羽柴(結城)秀康)が、秀吉の人質(養子)として京都へ送られた時に随従、それ以後秀康付きとなる。 天正18年(1590)小田原の役には徳川軍の後備となり、家康の女で北条氏直の妻となった督姫を陣営に迎えた。 父重次が秀吉の怒りにより籠居してからは、成重も出仕を止めて籠っていた。 関ヶ原の合戦の戦功で、慶長7年(1602)近江蒲生郡に二千石を与えられ、慶長18年(1613)秀康が越前に移った時付家老として丸岡藩四万三千三百石余(注1)を与えられ、正保4年(1647)まで藩主を務めた。
大坂二度の陣には秀康の子忠直に従って出陣。冬の陣には忠直の先鋒として天王寺口に奮戦し、夏の陣にも300騎で真先に進み、真田幸村の陣を打破り、自らも敵2騎を切って落とし、城門を打破り城内一番攻めの功をあげた。 元和元年(1615)従五位下飛騨守に叙任される。元和9年(1623)忠直が失脚後は将軍家の御家人となり幕府に仕え、寛永元年(1623)六千三百石を加増された。 正保2年(1645)(注2)5月19日隠居し、嫡男の淡路守重能に家譲り、入道して土庵と号す。正保4年(1647)6月23日、76歳で世を去った。丸岡町本光院に墓所あり。 |
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