(2)正時系
(伊奈本多)
助時の兄弟正時は宝飯郡伊奈にあって、この系を伊奈本多と呼んでいる。天文年間には今川氏に臣従して本領を安堵され、義元死後は本多忠俊が家康家臣となっている。
忠俊の孫に康俊(酒井忠次の子)が入り、元和3年(1617)近江膳所(3万石)その子俊次は寛永13年(1636)亀山(5万石)に移り、慶安4年(1651)再び膳所(7万石、のち6万石)に入る。
正時の二男信正は洞の西隣の欠(かけ)にあって信忠・清康に仕え、子重正は洞の東隣の大平に居住して清康・広忠に仕え、その子 作左衛門重次は、永禄一向一揆の際の戦功によって欠の西隣投(なぐり)に采地をうけた。
「三河国二葉松」には、大平に重次の城があったとしている。
その子成重は(1613)越前丸岡(4万石のち6千3百石を加増)に入る。
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