目  次
1.本多作左衛門重次
  
・エピソード
  
・誕生地の碑

2.本多成重(お仙)
  
・NHK大河ドラマ

3.本多父子の系譜

4.本多父子の年譜

5.あの日から今年は・・

6.小説「徳川家康」中の父子

7.本多父子の謎


   参考資料

 (a)「本多」人名辞典

 (b)本多一族の系譜

 
(c)歴代岡崎城主

 
(d)リンク・参考文献




HOME(a)本多氏一族の系譜>(2)正時系
(a)本多氏一族の系譜

(0)始祖
 (1)助時系(直系) (2)正時系(伊奈本多) (3)正明系 (4)正経系(本多豊後守家)

(2)正時系 (伊奈本多)

 助時の兄弟正時は宝飯郡伊奈にあって、この系を伊奈本多と呼んでいる。天文年間には今川氏に臣従して本領を安堵され、義元死後は本多忠俊が家康家臣となっている。

 忠俊の孫に康俊(酒井忠次の子)が入り、元和3年(1617)近江膳所(3万石)その子俊次は寛永13年(1636)亀山(5万石)に移り、慶安4年(1651)再び膳所(7万石、のち6万石)に入る。

 正時の二男信正は洞の西隣の欠(かけ)にあって信忠・清康に仕え、子重正は洞の東隣の大平に居住して清康・広忠に仕え、その子 作左衛門重次は、永禄一向一揆の際の戦功によって欠の西隣投(なぐり)に采地をうけた。
「三河国二葉松」には、大平に重次の城があったとしている。
その子成重は(1613)越前丸岡(4万石のち6千3百石を加増)に入る。


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