目  次
1.本多作左衛門重次
  
・エピソード
  
・誕生地の碑

2.本多成重(お仙)
  
・NHK大河ドラマ

3.本多父子の系譜

4.本多父子の年譜

5.あの日から今年は・・

6.小説「徳川家康」中の父子

7.本多父子の謎


   参考資料

 (a)「本多」人名辞典

 (b)本多一族の系譜

 
(c)歴代岡崎城主

 
(d)リンク・参考文献




 岡崎市と丸岡町 

HOME2.本多飛騨守成重>大河ドラマ
大河ドラマ「葵 徳川三代」に「成重」登場!!

2000年9月17日(日)と10月1日(日)放送のNHK大河ドラマ「葵 徳川三代」に本多成重が登場しました。

 17日は「忠直の乱心」というサブタイトルで、結城秀康(徳川家康の次男)の嫡男で越前福井藩主「松平忠直」の乱行による騒動が描かれていました。

 不破万作さんが演じる「本多成重」は「忠直」の重臣として登場し、主君の乱行による家臣の苦境に対しては親身になって助言し、主君に対しても忠節を尽くしながら、曲がったことは厳しく諌める忠臣として描かれていました。


第37回「忠直の乱心」のあらすじNHK大河ドラマホームページより引用)

 元和7年(1621)2月26日、越前北ノ庄城で騒動が勃発した。城主・松平忠直は家康次男・結城秀康の嫡男で、正室は秀忠の三女・勝姫である。忠直が家老・永見右衛門左の母を側室に所望するという前代未聞の事態が発生。右衛門左は主君の武人にあるまじき振る舞いに出仕を拒否。母は髪を下ろして仏門に入ってしまう。重臣・本多成重が出仕だけはせよと右衛門左を説得しているとき、忠直の軍勢が右衛門左宅を囲み、永見母子を殺してしまう。

 報告を受けた秀忠は険しい表情で、「忠直を江戸に呼びつけて詰問せよ」と命令する。正純が身内の不祥事は内々に納めるようにと進言するが、「身内こそ厳しく処断せねばならぬ」と引かない秀忠。忠直は9月に登城して申し開きをすると返答したものの、重病と称していっこうに北ノ庄城から動かなかった。

 10月、忠直の正室・勝姫と7歳の嫡男・仙千代が江戸城に到着した。「忠直は病の癒える来年3月には参勤できる」と申し開きをする勝姫。「改心しなければ改易もある」という秀忠に、「夫はふだんは心やさしく子煩悩、小心を隠すために大酒を飲んで乱暴を働く」と涙ながら訴える勝姫である。忠直が参勤するまで勝姫と仙千代は江戸に留まることになった。

 元和8年(1622)3月3日、忠直は北ノ庄城を発ち江戸に向かった。が、関ケ原でぴたりと足を止め、一歩も動こうとしなかった。成重が明日は何としても出立をと促すが、江戸へ向かおうとすると胸が苦しくなるというばかりである。登城しなければ松平家は取り潰されると必死に説得する成重。だが忠直は夢で大権現、秀康、秀忠の3人が恐ろしい顔で切腹せよと迫ってくると怯え、激しく嘔吐するのであった。

 忠直が越前に引き揚げたとの報告を受けた秀忠は、「またか」と怒りで身を震わせるのであった。

 


不破万作さん演じる本多成重

第38回「宇都宮釣天井」のあらすじ

元和8年(1622)10月8日、成重は江戸城に登城し、土井利勝に面会を求めた。そして、忠直は家臣の諫言に耳を傾けず乱行を尽くし、参勤、登城させるのには万策尽きた。「君、君足らざるとも、臣、臣足らざるべからず」、忠直卿は我らが主君であり家臣には取り締まることはできない。かくなる上は幕府の威光をもって取り締まって欲しいと訴える。

松平忠直が乱心状態との知らせで、秀忠は切腹を命じる。


 

 

ページトップへ戻る